今話題の首都大学ドブス事件ですが、主犯格の学生に処分が下されたようです。ネットではこの件はまだまだ収束しそうにはありませんが、大学側としては然るべき処置をとったと言えそうです。

で、リンク先のPDFを見ていて思いついたので、簡単な問題を一つ作ってみました。結論の方向性は直感的に定まると思いますが、それにつきどのような法的論理展開をすべきかをちょっと考えてみましょう。

なお、事件の概要が知りたい人は勝手にぐぐって下さいまし。新聞社をはじめとするマスメディアのポータルサイトでも取り上げられているし、2ちゃんでは絶賛炎上なう。wikiも出来ていますので。


【設問】
 都内の公立大学Y大学デザイン学部に通う男子学生Xは、同級生A、B及び学外の友人Cと共謀して「ドブスを守る会」なるサークルを結成し、「アートシーンに旋風を巻き起こすべく、世間から絶滅しつつあるドブスの写真集を製作する」ことを決定した。Xらは、JRのターミナル駅近辺において、通行人の中から容姿面で劣ると判断した女性らに声をかけ、「ドブスの写真が必要なので撮影させて下さい。」と申し入れ、相手の女性が拒否してもさらにつきまとい、手持ちのビデオカメラで撮影を強行した。その後、Xらはその映像を編集し、被撮影者の顔が明確に判別出来る状態でその横に侮辱的な文言を添えた上で動画として完成させ、ネット上にアップロードした。この行為は即時にネット上で話題となり、Y大学には非難と抗議が殺到した。事態を重く見た大学側は、独自に調査委員会を設置し、事実関係を調査した結果、Xらの一連の行為を非違行為であるとして、X、A及びBに退学処分を下した。これに対し、Xらは、Y大学に対して取消訴訟を提起して、退学処分の取消を求めた。

 当該取消訴訟の口頭弁論において、Xは以下のような主張を行った。
 「本件の撮影行為及び動画の公開行為は、哲学的思考に基づくアートである。そもそも現代アートとは反倫理的・反社会的要素を多分に含み、他人に忌避・嫌悪の感情を惹起させる性質のものである。しかしながら、一般大衆にとって理解出来ないものであるからといってそれを抑圧するのは筋違いである。憲法21条の保障する表現の自由は、そもそもマイノリティの言論その他一切の表現をマジョリティの数の論理から保護するところにその真髄がある。したがって、表現行為が社会道徳に反するとしても、そのことをもってその表現を抑圧することは許されない。そうであるならば、Y大学による退学処分はXらの表現の自由に干渉し、それを侵害するものであるから、憲法21条違反として無効なものである。」

このようなXの主張は妥当なものと言えるか。当・不当を答えた後、その理由を簡潔に記しなさい。なお、論点は憲法21条に関するもののみとし、部分社会論や行政裁量論に触れる必要はない。