お塩先生の件をもう一回だけ。

彼に保護責任があったのかどうかは、実はけっこう微妙な問題であったりもします。30歳も過ぎたいい年の成人男女間で、その一方が自由意思でオーバードーズして苦しんでいるのを救護しなければならない法的責任がもう一方の側に本当にあるのかという問題です。

これについて、判例理論では、保護責任の根拠を、法令・契約・事務管理・慣習・条理・先行行為に求めています。今回のケースだと「条理」上の保護責任があったと言えるかな。ただ、条理という概念はかなり曖昧なので、そこら辺が難しいところではあります。

そこで、有力な学説の中には、上記の要素を形式的に捉えるのではなく、より具体的な+αの要素を加味すべきだという意見があります。代表的なものとしては「支配領域性説」などと呼ばれるものです。要するに、保護の可否がひとえに行為者の肩にかかっているかどうか(加えて、そこに至るまでの経緯がどのようなものであったか)をも考慮しようというのです。この見解を適用した場合、今回のケースではお塩先生と故・田中さんは密室で逢い引き状態にあったのですから、田中さんの容態急変に対しては、お塩先生は支配領域性を有していたと言っていいんじゃないでしょうかね。

よって、判例・通説・有力説のいずれによっても、今回の件では保護責任それ自体は肯定して正解だったと思うのです。


これでこの件についての話は終わり。