崇徳上皇 所縁の地を訪ねて

この2,3日、瀬戸内界隈を徘徊していますた。で、空いた時間で普段あまり行かない所に行ってみました。


日本には「御霊信仰」というものがあります。非業の死を遂げた人間の怨霊を「御霊(≒神)」として祀ることで災いを鎮めようという信仰のことです。この御霊信仰がもっとも盛ん(と言っていいのか?w)だったのは平安時代ですが、ある意味これは当然のことです。というのも、平安京というのは、遷都のときから既に怨霊の影がちらついていた都だからです。平安京は1000年以上も続いた都であったためにさぞや計画的に作られた都であるかのような印象がありますが、実際にはそうではありません。784年に平城京から遷都された長岡京は僅か10年で放棄され、平安京へと再遷都されました。その原因となったのが藤原種継暗殺事件と、早良親王の憤死です。

785年、長岡京の造営責任者であった藤原種継が暗殺されるという事件が起こり、その首謀者の中に時の天皇桓武天皇の弟である早良親王が含まれていたという嫌疑が掛けられました。早良親王は無実を主張してハンストし、結局そのまま憤死したのだそうです。その後、長岡京では変事や天災が相次ぎ、それらが早良親王の祟りによるものだとされて、結局、長岡京は放棄されたのです。つまり、平安京とは早良親王の怨霊から這々の体で逃げていった先なわけですね。

さて、そんな平安時代の怨霊の中でも、特に有名な怨霊が三人います。まずは菅原道真。雷神の祟り神である菅公ですが、学問の神様というイメージが強すぎて、今では怨霊のイメージは希薄かもしれません。二人目は平将門首塚伝説などに名を残していますが、どちらかというと映画『帝都物語』シリーズの影響でメジャーになった感があります。そして、三人目が本日のお題である崇徳上皇です。崇徳上皇というと日本史の教科書的には保元の乱で敗れて讃岐国に流された上皇ですが、オカルト的には由緒正しき大魔王様です(『雨月物語』を参照のこと)。

配流となった上皇は、来世における幸せを願って五部大乗経と呼ばれる経文を写経し、京都の寺に奉納してもらおうと朝廷にそれを送ります。しかし朝廷は、罪人の写した経文などは受け取れないと言ってそれを送り返してきます。これに激怒した上皇は経文に「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」と呪詛の言葉を血書し、以後、髪も爪も切ることなく夜叉のような姿になったのだそうです。

この崇徳上皇に所縁の場所が、配流先であった香川県坂出市には二十ヶ所ほど残っています。そこで、今回はその中から三ヶ所を選んで訪ねてみました。この三ヶ所を選んだ理由は単純で、交通アクセスの悪い場所だからです。公共交通機関を利用していくのは大変なので、車のあるときに行っておこうと思った次第。ちなみに、この三ヶ所は近い場所にあります。白峰御陵は白峰の山上に、二つの神社は白峰の麓にあります。遍路道として歩いて登ることも出来ますが、なかなか大変です。


高家神社(たかやじんじゃ)(血の宮)
白峰の麓にある神社です。崇徳上皇の葬祭の列が白峰に向かう途中で風雨雷鳴に遭ったため、この神社で一時休止したのだそうです。その際に石で出来た高台の上に棺を置いておいたところ、何故か棺から血が流れ落ちていたのだとか。そのため、この高台は「血の宮」と呼ばれています。

鬱蒼としてほとんど人気の無い寂しい神社です。今の時期にあまり一人でうろうろするのはお勧め出来ないかも。



・青海神社(おうみじんじゃ)(煙の宮)
ここも白峰の麓にある神社です。白峰山上で崇徳上皇が荼毘に付された際に、紫色の煙がこの方向に立ち上ったのだそうです。そこで、その地に神社を建てて条項を祀ったのだとか。それゆえ、別名を「煙の宮」と言います。

この神社の脇から白峰山上の白峰寺に向けて、「西行法師の道」という参道が延びています。道すがらに歌碑を眺めながら登っていくことが出来るのですが、はっきり行ってきつい道です。時間と体力に余裕のある人のみどうぞ。


・白峰御陵
四国霊場八十一番札所・白峰寺の奥にある、崇徳上皇の御陵です。白峯寺はお遍路の札所ですので観光バスも着くなど人の出入りが多いお寺ですが、その奥にある御陵にまで来る人は少数です。天皇の御陵としてはやはり寂しい場所にあると言わざるを得ませんね。

余談ですが、私が白峰寺の境内から御陵の方へと移動中に、突然、天気雨が降りだし、ちょっと背筋が寒くなりました。いくらなんでも崇徳上皇に祟られるのは御勘弁願いたいものです。

なお、白峰には、紫の物を身に付けて登ってはいけないとされています。崇徳上皇の死因には病気説、自殺説、暗殺説等諸説あるのですが、このうちの暗殺説では、紫色の手綱を付けていた三木近安という武士が下手人であるとされており、それに基づき、紫の衣服が禁忌とされているのです。この禁忌を犯すと良くないことが起こるのだとか。私もちゃんと紫の物は外して行きました。


今回回ったのは以上の三ヶ所です。他の場所はまた別の機会にでも。ちなみに、一番メジャーな史跡は八十場の湧水だと思います。ここは、上皇崩御後、都の検視官が来るまでの間遺体を漬けて保存しておいた清水で、言い伝えによると三週間もの間遺体は一切腐ることがなかったという霊泉です。要するにそれくらい冷たい水だというわけで、今ではそれを活かして心太を名物にしています。遺体が腐らないほど冷たい水で作った心太、っていう触れ込みは気分的にはちょっと微妙ですがw なお、ここはJRの駅からすぐの所にあります。